現場の声
劇場でイタリア人の歌い手のそばで歌うと、彼らにしかない声の響き、フレージング、言葉さばきがある。
それは、長くイタリアに住んだことで耳が喜ぶ心地よさでもあるし、レッスン中に何度となく言われた部分でもある。
その本当の意味での必要性って、レッスン室の中だけでは感じられなかった。
けれど、これはイタリアで歌って認めてもらういわゆる基礎になる部分なんだと思う。
イタリアでも、私たち日本人がアリアを歌ってブラーバを頂けることはある。
それは声や音楽に対してであって、なかなかそれ以上は難しい。
イタリア人は、私たちが扱う歌詞をそのまま直接受け感じることができる人たち。聴衆の耳はものすごく素直。
だからこそ、彼らに、外国人が歌っていると感じさせないように歌いたい。
音楽でブラーバはもらえるが、言葉だけではブラーバは貰えない。言葉はその音楽に深みを出させる。上質になる。格上になる。
4年半勉強してきた。
まだまだ目指せる高みがある。
幸せなことです。
PROVA GENERALE
突然の指揮者交代で、昨夜オーケストラとの稽古を演出付きで新しい指揮者との音楽稽古なしにやりました。
色々事故を起こしそうな箇所はありましたが、柔らかく、自由に歌わせてくれるので、歌いやすかったです。
FRANCESCO QUATTROCCHI
若干33歳の若手ですが、すでにグランデマエストロの風格ありです笑
体格もでかい。
しかし人柄もニュートラルで入りやすかったです。
今夜はProva generale
あと少ししたらまた劇場に戻ります。
では。
ジャンニスキッキ稽古開始
トリエステ歌劇場でのジャンニスキッキの稽古が始まり、今日で一週間経ちました。
毎日演出稽古に音楽稽古を重ねています。
今日はPROVA ITALIANAでした。
オーケストラとの音楽稽古です。
そして日曜日にはあるオーディションを受けます。
ジャンニスキッキだけ歌っていると、崩れがちになる声も、オーディションにむけて並行して練習をすることでバランスを取っていますが、やっぱりこのタイミングでオーディションは厳しい。どうなるか。。
集中集中。。。
怠け癖
わたし、信念は揺るがないんです。
貫きます。
でもそれは感覚的なものが原動力になっている。
例えば、なぜイタリアにいるのか。
それも元はと言えば明確な理由はなく、ただ感覚的に、日本でやっていたことがなんか違う気がしてたから。
どうしてもイタリア!!というわけでもなかった。
スタートの地はシチリア島だったのだが、それも、もしミラノやローマだったら、わたしはイタリアに来ることを選んでいたかすら怪しい。
少し長期で海外に行ってみることを許され、考え、プランニングしていく中で、シチリア島というキーワードが出、私にすごく響いた。
そこから早5年。
本格的に留学を開始したのは4年前だが。
岐路に立たされる時、わたしはいつも自分の声がきちんと聞こえるほうだ。
それは結果、大変な道であっても、それは決して『間違い』とはならず、またそこに後悔もない。
幸いにして、わたしの人生に、わたしの人生における様々な選択に、後悔は何ひとつない。
それは、ただ、心の声を実現することができる環境を、周りが与えてくれたおかげにすぎない。
それはおいといて、そんな信念を感覚的にもつわたしは、全てにおいて感覚的に捉えてしまいます。
ただそれだとなかなか習得に時間がかかるので、たくさん頭も使うようになりました。
この5年の道のりで、理解しようと、習得しようと、おかしくなり、こんがらがった糸を5年目でひとつ簡略化つまり、こんがらがった糸を解く作業をしています。
また跡は残り、綺麗な一本の糸にするにはもう少し手入れが必要ですが、この簡略化が一番大切な作業だと感じます。
人は頑張ってる歌は聞きたくないのよ。
リラックスして聞きたいし、そしてその人からなにが伝わるかを感じたいのよ。
簡略化ができたら、上手く歌うこと忘れるべきだ。
あとはなにを伝えるか。
なーんて。
12月の上旬以降、譜読みばっかりで歌のコンディションが低迷してましたが、週末に奮い立たせるためにオーディションをいれたら、本番に向けたアドレナリンと集中力(頭の)が出てきて、やっとコンディションが戻った次第です。
ほんと怠け癖がひどいわ 笑
コンスタントに努力できる人が羨ましい。。
それでこのタイトルでした🙄
新年のご挨拶
2017年
新年明けましておめでとうございます。
今年の年明けは、初めて旦那くんと一緒にすごすことができました😚
ボローニャの友達に会いに行って、そのままその旦那さんの友達たちとのcenoneに行ったのですが、残念ながら女性の日と重なり、場所も寒かったので、かなり痛みと戦っていました。
でも旦那くんが終始痛みを気遣ってくれて、ずっと一緒にいてくれて、いろんな話して、なんか、あー夫婦になったんだなぁ、って初めて実感した気がしました。まだ2パーセントくらいですけど笑
やっぱり日本人だから、年末年始を一緒に過ごすことが、家族になった証な気がします。
旧年中お世話になった方々、本当にありがとうございました。
これからも旦那ともども、末長いお付き合いをよろしくお願い致します(*´꒳`*)
natale e capodanno
イタリアのNataleナターレつまりクリスマスは、昔の日本のよう。
家族で過ごす日。
今でこそ年末年始に帰省しない方も増えましたが、わたしは根っからの田舎の家育ちなので、年末年始を実家で過ごさないことは感覚的にありえません。イタリアに住みだしてからは、さすがに無理な年もありましたが、30数年でほんの片手で足りるほどの回数です。
イタリアではその感覚がクリスマスにあたるよう。
あるビデオで見たのがすごく印象的だったのですが、何人かの男女が嘘をついて家族に、『今年のクリスマスは帰らないよ、友達とパーティするよ』て電話するんです。そしたら、電話の向こうのお父さんやお母さんはブチギレ、あるいは泣き出す始末 笑 しまいにはガチャ切りしてしまう笑
でもこれ、なんかいいなーって思いました^ ^
我が家は珍しい方だとは自覚してしてますが、もし年末にそんなこと言った日にゃ父が冷静かつ短い言葉で、
『あほか。帰ってこい。お父さんはゆるさん。』
と言われるに決まってます。
そしてそれに従ってしまうわたし。てか従うもなにもそんなことしようとも思わなかったわたし。
だけど、いま、普通に帰らない人がたくさんいて、親も親戚も簡単にそれを許して、都会の小さな部屋で、おせちもなしに、お正月を感じず、年を越すんですよね。
なんか、あまり素敵に感じないのは、わたしが風変わりな家で育ったせいかな?
イタリアのクリスマス。いいと思う😊✨
だけど、残念ながらわたしはイタリアにいて、今年は彼は仕事で地元に帰れなかったので、友達と過ごしました。
イタリア人の友達はみんな家族と過ごすので、家族の元に帰れない旦那君はすごくさみしそうでした。
だから、日本人の友達をたくさん我が家に呼んで、パーティしました😘
日本人はみんな同じ境遇だからね。家族はいないから😓
そして、イタリアは、日本のように街がカップルモードじゃないので、たとえカップルでいたとしてもなんかさみしく感じるんです。
25日なんて19:30以降は電車ありませんからね笑
みんな仕事せず、家族と過ごす特別な日。
悪くないですよね🌹
第一回 ベニャミーノ・ジーリ国際声楽コンクール
今回のカターニア遠征の目的はこのコンクールでした。
このコンクールは審査員がなかなかすごく、超有名なピエトロ•バッロをはじめ、ヴェローナやレッチェ、そしてトリエステの歌劇場の芸術監督が来るともあって、わたしの師匠たちは、8月からすでにこのコンクールに照準を合わせてレッスンしていました。
しかし実際わたしはカターニアではなくミラノ在住なので、今回のように、身体と精神のコンディションを整えるため、2週間前にカターニアに降り立ったのでした。
結果、2位を頂きました。
そして、来年2月にトリエステのヴェルディ歌劇場で公演されるジャンニ•スキッキのチェスカ役を依頼されました。
イタリアでは歌劇場や野外ですでにオペラデビューをさせていただきましたが、今回はシーズンオペラの出演です。
野外オペラであったり、歌劇場で歌ったり、あもちろん、それを歌わせてもらえることも簡単ではないのですが、企画はいわゆる個人のものでした。
歌劇場では、秋頃に年間公演演目リストが発表され、12月から夏までを1シーズンとするのが普通です。劇場の経済状況により変わりますが、4つから6つくらいの年間公演演目スケジュールが秋頃までに決まります。
今回のトリエステでのオペラ出演は、その年間公演演目の中に入っているオペラで出演なので、所謂歌劇場企画のものになるので、本当に正式に今回がイタリアの歌劇場のデビューになります。
また歌劇場の中でも、A5ランクの劇場のひとつだそうで、かなり大きく、写真を見た限り、内装も素晴らしいです。
楽しみと浮かれていられるのも今だけです。
きちんと準備をして臨みます。